2016年7月10日日曜日

原初的叛乱者の系譜

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年間の教壇暮らしで最も消尽する
水曜6限(17:40-19:10!)の講義
「世界から考える沖縄」が、
今夏も無事終了しました。

ことしも昨年とおなじメンバーによるリレー講義。どなたの講義内容も、他のふたりに比べるとかなり異様にみえるという、稀にみる攪乱的・理想的なリレー内容。

2年生になったばかりの学生を中心とした100名をこえる受講者に、
わたしが今年伝えようとしたのは、上原安隆の不在の遺書を想像すること、ただその一点でした。

原初的叛乱者たちの隠された系譜をたどる、という今年のサブテーマには、いうまでもなくホブズボームの初期の著作 Primitive Rebels (邦訳タイトル:素朴な反逆者たち)の発想がその基盤を形成しています。系譜、ということばづかいにも、あるいは山口昌男の「徒党の系譜」がインターテクスチュアルに裏書きされているのかもしれません。 昨年、クルギの面々と琉球大学の日本平和学会秋期研究集会で開催したシンポジウムで、阿部小涼さんが言及された「見えないアーカイヴ」のイメージさえ、このテーマにおのずと流れ込んでくるような気もします。

上原安隆の遺書をあらためて想像するにあたり、北条民雄から谺雄二へ、伊藤野枝から向井孝へと、今回は相当な遠まわりを必要としました。くわえて、わたしが折にふれて言及したハキム・ベイや蓮實重彦の一節に、ポカンとしながら何か強いものを受講者の方々が直感してくれたならなあ…と今は思っています。

いずれにせよ、わたしのような者が今の時点でまがりなりにも上原の遺書を想像する作業にとりかかれるのも、ひとえに森口豁と仲里効が重要な仕事を残し、事件を常なる現在として風化させずにきたからに他なりません。森口のドキュメンタリー映像『激突死』それ自体、そして写真集『さよならアメリカ』(仲里効 解説)に再録されたあの一文の重みを、今回もまた、あらためて痛感したしだいです。

森口豁 「たった一人の「コザ暴動」 喜瀬武原・東京・そして今」 2011年(初出2000年)