いまが偶々その季節だからでしょうか、冬の朝の、どこまでも澄んでいく冷気が緩まぬうちに、対話の深みへとひっそり辷りこんでいくにふさわしい一書かもしれません。
和田忠彦 『タブッキをめぐる九つの断章』
共和国、2016年12月30日発行。
『インド夜想曲』『レクイエム』などで現代イタリア文学に圧倒的な足跡を刻んだアントニオ・タブッキ。
かれの最良の理解者のひとりにして友、そして翻訳者でもある著者が描き出す、タブッキに寄り添って歩んだ《旅》のメモランダム。
この現実を浸食する夢や虚構、そしてその風景と記憶が、かずかずの断片のなかに浮かびあがる。
タブッキの短篇「元気で」、そして1997年に収録されたふたりの対談を付す。 (本書帯より)
生と死の、出遭うことと別れることとのあわい、それはテクストそのものにかぎらず、手紙、写真、列車…、さまざまな霊媒を介した、夢路としての交通、あるいは語り手という名の旅人と〈自分〉との行き来を可能にする、長い歳月をかけた旅、「切ない」とのみ形容するにはあまりに奥行を展げていく謎めいた運動の謂であることを、わたしはこの書の行文をつうじあらた
めて確認できたように感じています。
「[…] 断片の集積から読者が読み取る のは語られた物語ではなく、作者が語り手についに語らせようとはしなかった何かなのだ […]」 (本書「三、ペソアからの航海」より)
「[…] 「ひとはある言語で忘れ、ほかの言語で思い出すことができる」 […]」 (本書「追憶の軌跡」より)
インタヴュー「物語の水平線」の冒頭で、和田氏はこうも記します。
「はじめて『インド夜想曲』を読んで、その夢うつつの世界に魅せられてから、十三、四年が経つ。その間、幾度となく作者アントニオ・タブッキ本人に会ってみたらと勧められたけれど、いつも気乗りがしなかった。たんなる一読者として、のちに訳者として、タブッキの紡ぎだす物語に寄り添っているうちに、この人には会わないほうがよいと思うようになっていた[…]」
ある個体がうみだす作品世界に魅せられるほど、作品の起源に佇んでいる筈の本人には会えなくなっていくという感覚を、かつてわたしは、アマドゥ・クルマについては局所的に、ブリュリィ・ブアブレに到っては全面的にいだき、且つその感覚の虜となっていました。「現地調査」を旨とする人類学徒として、自分はやはり病んでいるのではないかと、ひそかに悩んでいたほどです。アビジャン市内で本人と会い対話をはじめる機会をわざと何度も逃しているうちに、ブアブレはとうとう幽明界を異にしてしまいました。「ひとりの作家と過ごした時間が、時を経るごとに濃密に感じられるようになるのはなぜなのだろう」という本書冒頭の問いかけを、しかしわたしは今なお同じ問いのまま、この断章群の語り手と幾分なりとも分有していると信じます。