2016年1月25日月曜日

「非暴力の牙」


『現代思想』2月臨時増刊号に小論を書きました。


真島一郎 「非暴力の牙」
 『現代思想 総特集=辺野古から問う-現場のリアル』
 44(2) : 129-137, 2016年1月22日.




archaic smile

                                
お伝えしていたとおり、昨日一昨日と、ISC・21 第100回記念例会に参加させていただきました。

会場の奈良教育大学に近づくと、白毫寺はこちら、
という大きな看板が、すぐ目に飛びこんできました。
白毫寺も、40年前にいちど訪れたことのある真言律宗の古刹です。山門をすぎた辺りから、瓦を乗せた古い土塀が石段の両側につづく美しい光景が、寺の名前を目にしたとたんに、鮮明に甦ってきました。もうすこし早く研究会の会場に着いていれば…と思いました。

翌日は予定どおり、稲垣先生、研究会の先生方のご案内で、明日香村を訪れることができました。
飛鳥寺の釈迦如来像とも、歳月をこえての対面です。コートディヴォワールの村で暮らしていたときも、体調を崩してかなり高熱が出てしまったような局面で、一、二度、夜の夢に現れてくださった仏さまです。飛鳥寺であらためて仰ぎ見た釈迦如来は、かつて西アフリカまで、風来坊の救済に来てくださったときより、実際はるかに秀麗で威厳に満ちた御姿でした。

古代ギリシア美術研究の用語 archaic smile を
止利仏師の作品に転用したのが
誰を嚆矢とするのかは、 忘れてしまいました。私がその和訳にあたる「古拙的微笑」という言葉をはじめて知ったのは、やはり中学時代、おそらく新潮文庫版で手にした亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』だったのではないかと、おぼろげに記憶しています(記憶ちがいかもしれません)。

古拙という漢語には、単に「拙い」という以上の、時の経過によって生みだされた美の形象が、幾ばくかなりとも含意されてきたことは事実でしょう。ただ、archaic という形容詞がある時期まで頻繁に登場していたような研究分野にその後奇しくも足を踏み入れたのち、40年後の飛鳥寺であらためて釈迦如来の尊顔にまみえてみると、archaic smileを古拙的微笑と訳すのは、やはり明らかに間違っているように思いました。

堂内の出口にいたる回廊に、焼失した光背部分の小断片が展示されていることに、今回初めて気づきました。法隆寺金堂釈迦三尊像の、あの飛鳥美術の粋といえる止利派様式の完璧な構成は、残念ながらこの古仏から喪われてしまいました。しかし、おそらくは後代の補修水準などを考慮したと思われる文化庁の評価基準とは違い、私のなかで、この作品はまぎれもない「国宝」です。今回の小フィールドワークのテーマだった乙巳の乱を境に、この国の仏教美術は北魏様式と決別し、白鳳仏の時が幕をあげることになります。

2016年1月18日月曜日

ゼミ論発表会

a Niokolo-Koba, Senegal, 2010  I. Majima
次週、中山ゼミとの合同でゼミ論発表会を行います。

日時: 1月27日(水) 午前9時より
場所: 研究講義棟3階316教室

今年度のゼミ論提出者は9名。

うち8名が学部3年生で、1名が
修士課程1年生です。

タイトルは、以下のとおりです。
(執筆者名略、順不同)

論旨彫琢の労を最後まで惜しまなかった昨夏以降の成果として、
みごとな力作が出そろいました。


1.「そこにいなかった人々- 『イマナの影』から考える非当事者による語りの可能性」
2.「 『火によって』から見る小説の力」
3.「森林のなかへ-チュツオーラ作品の生にかえる旅をめぐって」(修士課程 院生)
4.「従いながら統治する -サパティスタ民族解放軍「沈黙の行進」からの、「自由」の考察」
5.「ロメオ・ダレールの選択」
6.「「フランス語、文化の言語」から探るサンゴールにとってのフランス語
                               -フランスの言語同化主義の観点から」
7.「山之口貘の詩から見る沖縄」
8.「アフリカにおける日常的抵抗実践」
9.「「原始」と「西欧」の矛盾から- ポール・ゴーギャンの《Ia Orana Maria》をめぐって」  (以上)

2016年1月15日金曜日

ISC・21 第100回記念例会 パネル・ディスカッション

来週末、奈良にて、ISC・21、21世紀スポーツ文化研究所の通算第100回記念例会が開催されます。研究所主幹の稲垣正浩先生に、パネル・ディスカッション参加のお声掛けを頂戴しました。

パネル・ディスカッション 「〈破局〉に向き合う、いま、スポーツについて考える」
日時: 2016年1月23日(土) 14:30 - 18:00
場所: 奈良教育大学教職研修センター
司会・進行: 稲垣正浩
パネリスト:  西谷修、真島一郎、中山智香子、橋本一径、小野純一 (敬称略)

翌24日には、明日香村での共同フィールドワークが予定されています。
乙巳の乱とは、当時の政治システムにおいていかなる事件だったかを省察するのが目的です。
その日の晩には、座談会も予定されています。

中学生のころの私の夢は、「美術品」としての仏教彫刻を鑑定・評価する仕事に携わることでした。
なにもわからないまま、ただ尊敬の念だけで、西村公朝の著作に目を通したりしていました。
あまりにのめりこんで、学校の成績もみごとに落ちました。
憧れていたのは慶派仏師の作品でしたが、飛鳥にも行きました。
入江泰吉の写真に、「二上山暮色」と題された作品があります。
神の山の稜線を逆光気味に薄く照らしだすその黄昏の微光に、
言いしれぬ神の威圧を感じながら、時の経つのも忘れて陶然と(痙攣)している14歳でした。
だから仏像の背後に私が感じていたのも、ホトケではなかったのかもしれません。
仏像が「美術品」でもないことを思い知らされる、ちょうど一年ぐらい前のことです。

現世(うつそみ)の人にある我や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟背(いろせ)と我が見む
                                                    大伯皇女

稀有な機会にめぐまれ、初日の主題「破局」とともに、省察を再開しようとおもいます。


rayons crepuscules a Daara (Senegal)  2011, I. Majima

2016年1月12日火曜日

朝日新聞 記事 「不屈ラップ 悪政ストップ」


遅ればせながら、新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

きょうの朝日新聞朝刊に、ヤナマール&クルギの記事が大きく掲載されました。

朝日新聞 2016年1月12日朝刊 第7面
 「世界はうたう 10 ヤナマール運動@セネガル」  (乗京真知 筆)

乗京記者が伝えきった熱いメッセージへの反響のほどを、
いまは心から祈っています。 見出しフレーズも、キザんでます!