2017年11月13日月曜日

上村忠男 『ヴィーコ論集成』

 
このたび、上村忠男先生の新著が刊行されました。

上村忠男 『ヴィーコ論集成』みすず書房、
                 2017年11月15日発行。

 上村先生の半世紀以上におよぶヴィーコ研究のエッセンスを集成したといえる本書は、函入り500頁超の大著です。

先生の半世紀におよぶ思想史研究の、さまざまな転機とともに厚みを増していったヴィーコ研究の見取図は、本書プロローグの「ヴィーコとヨーロッパ諸科学の危機」において、まず大掴みに想像できるようになっています。

ヴィーコの思想をまえにするとき、たとえばいかなる論点が、省察の起点にふさわしい問いの本質となり、それがいかにして現在の争点とも接続をとげることになるのか。本書の精読をつうじ、時間をかけてこの点を探究していきたいものです。

「[…]しかし、このデカルトによって切り拓かれた近代ヨーロッパ的な学問方法の危機が意識されるようになってすでに久しいこともまた事実である。知識の確実性を求めて「方法」の研磨に励めば励むほど、その一方で学問の生にたいする有意味性が見失われていく - ニーチェが『反時代的考察』の第二考察「生にとっての歴史の利害について」(一八七四年)において指摘し、フッサールも『危機』の冒頭において確認しているように、端的にいってこのようなアンビヴァレントな状況が、いまやいたるところで露顕するにいたっている。これはまたどうしたことなのか、原因はなんなのか、どこかがまちがっていたのだろうか、どこがまちがっていたのだろう。こう人々は深い不安のうちに自問しつつある」 
                                (本書、 「ヴィーコとヨーロッパ的諸科学の危機」より)

「[…ヴィーコの]『新しい学』における公理中の基本公理である「理論はそれがあつかう素材が始まるところから始まるのでなければならない」という公理 […デ・ジョヴァンニの指摘によれば…] ここには、〈思惟するわたし(cogito)〉の覇権のもとで単一の方法規則を繰り出しつつ事を始めようとするデカルト的始め方とは根本的に異なる、対象の多様性に即応した方法に準拠した真理の探究の必要性についての認識がある[…] デ・ジョヴァンニの論考においては、スピノザの反デカルト主義についてネグリもその線上に位置するところのドゥルーズ的な存在論的解釈と軌を一にした解釈が提示されたうえで、そこにヴィーコといういまひとりの反デカルト主義者にして同時に反スピノザ主義者でもあった人物の思想を比較対照的に並列させてみることによって、ひとつの注目すべき新たな問題局面が批判的に浮き彫りにされている[…]」
   (本書、「スピノザ、ヴィーコ、現代政治思想 - ビアジオ・デ・ジョヴァンニの考察の教示するもの」より)