2017年11月1日水曜日

ヘイドン・ホワイト 『実用的な過去』

ヘイドン・ホワイトの最新の論文集が、このほど翻訳刊行されました。

ヘイドン・ホワイト 『実用的な過去』上村忠男 監訳、岩波書店、
                           2017年10月27日発行。

フリードランダーが編集した1990年の会議記録(『アウシュヴィッツと表象の限界』未來社、1994年)以降、本年編訳された論文集『歴史の喩法』へといたるホワイトの思考の道程が、上村先生の訳業としても太い流れを形づくりながら、極限的な出来事の表象可能性をめぐる問題を再度問いなおす地平へと到りつく。その長きにわたる省察の成果が、本書所収の論考群、とりわけ「フィクションとは、歴史の抑圧された他者である」というミシェル・ド・セルトーの言葉をエピグラフに掲げた「実用的な過去」で結実しているように思います。

「[…]わたしはかつて『メタヒストリー』において、どの歴史叙述作品も歴史についてのなんらかの全体的な哲学を前提としていると論じたが、それと同様、いまのわたしは、どの現代小説もなんらかの歴史哲学を前提としていると論じるだろう」(p. 34)

[…たとえばトニ・モリスンの傑作『ビラヴド』において…]自分の物語の主役の考えを発明するために、モリスンが弁明せずに責任を受け入れ、[記述の]信頼性を損ないかねない歴史を再構築するために立てた仮定の結果を引き受け、そしてそうすることでモリスンは、現在の自分の状況と共鳴する仕方で過去を扱う自由を主張しているのである。というのも、彼女が正しく指摘したように、「奴隷制」という「領野」は、恐ろしく、未開拓であるばかりか、人を寄せ付けず、隠されており[…]主題にかかわる事実をひたすら列挙すること以外しようとしない歴史家たちによって、少なからず「意図的に葬り去られている」からである。歴史叙述家にはけっして想像することができないような、詩的な想像力に対してアクセスが開かれている 《声高に叫ぶ幽霊たちが漂う墓地に住まいを構える》とは、こういうことなのだ」(p. 38)


あるいは、コンジャリングを、記述に託した書き手の上演として目撃すること。